KKO問題

発散するKKO

ネット界隈では最近「キモくて金のないおっさん(KKO)」問題と言うのが語られているらしい。金のあるなしの基準、キモイキモクナイの基準って何よ、と思うのですが、非正規雇用の男性のことを指すらしい。それ慣れそれで「キモイ」というのがどこから湧いてくるのか不思議です。この「キモイ」というのは結婚できない、していないということらしいです。つまり、独身の非正規雇用の男性。じゃあ、家庭を持っている非正規雇用の男性はいいの?という疑問がまた湧いてきます。

でまあ、いろいろ調べて、どうやらこのパワーワードの提唱者らしい人や、その解説を見つけることができました。それを見ていると、どうも今のKKO議論は本筋から外れているように見えます。

もっとも、提唱者の議論したかった内容がすべて正しく、それ以外は誤りなんてことはないです。ただ、「キモくて金のないオッサン」という言葉があまりにパワーワードすぎて、派生しやすかったところが本質からずれまくる原因になったように見えます。その言葉を選んだ理由は分かるのですが、あまりに琴線に触れる言葉だったが故に、言葉の与える印象が独り歩きしてしまい、もはや最初の話からずれまくって発散してしまい、個々人がそれぞれのKKO問題をぶつけ合うのですから収拾しようがない状態になってるように見えます。
大本の話からすれば、おばさんがどうとかいう話は出てくるはずがないのですが、あまりに分かりやすい言葉だったがゆえに、見当違いのことが議論になってしまっているという。まあ、それはそれで本来議論したかった話ではないにしても、確かに問題だったのでしょうから、必ずしも話を逸らした人を責める事でもないと思います。

とはいえ優先度はある

例えば貧困している子供はかわいそうと思われ、救済対象にもなる。でも、貧困しているオッサンは自己責任とか、努力しなかったから仕方ないと言われる。まあ、それは間違ってないですよ。努力することすら難しい貧困の少年と努力することもできたのにしなかったおっさんじゃ、そりゃ、前者を救えと言う声の方が大きいでしょう。全ての人を救えない以上、後者が切り捨てられるのは当然だって、当事者以外は当事者になるまではそう思うでしょうね。それじゃいけないと叫ぶことは簡単ですが、じゃあどうするかと言えばどうにもならないわけで、結局、KKOは永遠に救われない。