京急武山線の話

東洋経済がまた微妙な記事を載せていました。京急「赤字決算」があぶり出した幻の路線計画という記事の最後の方で幻の武山線について触れてます。その中の記述がなんかもう中途半端に感じてしまって。まあ、自分もWEBとかWikipediaの中でしか武山線のことは知りませんけど。

武山線は東急時代の1944年12月、地方鉄道免許を受けて着工。久里浜線と同様、軍事色の強い路線で、林地区にある海軍施設への通勤輸送などを目的としていた。

ここはあれ?と思いました。林と言えば陸自の少年工科学校でしたので(そういうバス停があった)。現在は陸自の武山駐屯地、空自の武山分屯地、海自の教育隊がありますが、元々は武山海兵団なので確かに海軍施設です。これは東洋経済の方が正しかったです。
Wikipedia京急武山線の項では陸自の施設や駐屯地となっていますが、これは誤りでしょうね。

横須賀市三浦市林地区を結ぶ神奈川県道26号の金子トンネル(左)と新金子トンネル(右)。どちらか一方のトンネルが武山線用のトンネルを転用したものといわれている

どちらか一方ってことはないでしょう。記事の写真は武山側からの写真でしょうか。左側の大きい方が旧トンネル(大正3年)、右側の小さい方が新トンネル(昭和17年)です。時期から見て新トンネルが武山線のためのものでしょうか。武山線は単線の予定だったので小さいのかな、と。今は県道のトンネルとして上下分離になってます*1

この記事では京急が武山線の事業廃止時も再開に含みを持っていた、という風に書いてますが、はてさて、それはどうでしょう。確かに、含みを持たせた物言いはしてますが、実際問題、本気で再開するつもりはなかったと思います。後で使えることもあるかもしれないので唾をつけておいた、くらいでしょうか。
というのも、武山線の免許は国鉄(現JR東日本)・衣笠から。京急の既存路線とは繋がりがありません*2
京急の既存路線に全く絡まない、衣笠から林への路線を作って、京急が儲かるとは思えません。敷地も狭いですし。そんな敵に塩を送る様な路線を積極的に作ろうとは思わないのでは。余程採算性があるなら別ですけど*3

*1:田浦辺りといい、昔のトンネルは大きく作れなかったので上下分離が多いです。まあ、後から増やしたというのもあるでしょうけど。

*2:実は京急の前身の一つである湘南電気鉄道が三浦半島西部に計画していた西部線という計画があり、その支線として計画されていたものなので、大元をたどると路線がつながる計画でした。が、用地買収ができず、そもそも道路だってう回路がないため夏場は渋滞しまくるところなので、鉄道を引くなんて地下鉄でもなければかなり無理があります。西部線とその支線としての武山線は頓挫しましたが、太平洋戦争で軍部が目を付けて武山線の計画を流用して建設しはじめた武山線は東京、横浜方面から衣笠経由で林の駐屯地を結ぶ計画に焼き直したものです。なので、出自は京急ながら、京急的には旨みがありません。

*3:もちろん、衣笠を抜けて横須賀中央の方まで路線を伸ばせば京急としての旨みが出てくるかもしれません。が、すでに宅地化されているところに新線なんて引けるわけないですし、そもそも計画にもない路線なので新規に申請しなければいけないわけで、やはり、本気で再開なんて考えてなかったんじゃないかと思います。ウルトラCは逗子以南をJRから買い取って改軌したうえで逗子線と接続、衣笠から武山線って手は...やっぱりないな。建設費ばかりかかった上に、採算が見込めないという。事業廃止後に山科台とか宅地開発されましたけど、そんなに大規模なわけでもなく、既に車社会になってますので。