真田丸

シーンはいきなり鶴松が病になったというところから始まり、突然「利休の祟り」とか言い始めたので何事かと思ったら、回想シーンで利休の切腹のシーンが出てきました。
その後、時間軸が現在に戻ったり、さらに利休の話に戻ったりとあっちへ行ったりこっちへ行ったりしてました。個人的には普通にやればいいのにと思いましたけど(2時間の映画の中でそういう手法を使うのはよいですが、45分の大河ドラマの中で行ったり戻ったりの濫用はどうなんでしょう。病気になった話から時間が戻るのはまあよいとして、戻ってからは一本道でよいじゃないかと)。

ただ、死に至ることになった原因が、小田原攻めの際に北条にも弾薬の元になる鉛の塊を売っていたことで、石田三成大谷吉継に睨まれて、秀長の説得もあって、秀吉の信頼を失ったため、ということになってましたね。こういう説は初めて聞きました。通常は三成が実権を握るため事実上の政敵である千利休を失脚に追いやったとされることが多いかと思います(当時の豊臣家の体制を現す言葉として、表向きのことは秀長に、内々のことは利休に訊け、というのが有名です)。

とどめを刺したのが結局茶々が気まぐれ?で求めた利休の人形のサイズが大きすぎて、それならいろいろ世話した大徳寺に送ればよいと、これまた気まぐれで言ったことが原因という、なんとも不思議な話になってました。挙句に信繁が名探偵気取りで「すべてがつながった」とか言い出すので、ちょっと呆れてしまいました*1

今回、三成とともに利休失脚に動いたのが、本作では三成のそばになぜかいつもいる大谷吉継です。まるで彼こそが三成とともに五奉行の一人かのようです。実際には、城持ちである大谷吉継がずっと三成のそばにいて助言したりしているのはかなり違和感があります。領国の経営は家老に任せているのでしょうか。上京した際に三成の元を訪れるのはわかりますが、本作ではずっと一緒にいますから、それはおかしくないかと思います。

*1:でも、大徳寺の住職?は利休の指示で山門の上に置いたと言ってたかと思いますが、厄介者を押し付けただけなら場所まで指定しないだろうし、あまり「繋がってない」様に感じるのは気のせいでしょうか?