仮装報道

ちょっと強引すぎる論理展開。裁判員制度は自己責任とは最初から関係ないし、メタボ診断が余計なお世話というのは同意するが、あれは自己責任なのに連帯責任なのではなくて、もう健康管理自体が自己責任じゃなくなったということだと思います。企業に働く個人の健康に対して企業が責任を負わされるのは何もメタボ検診に始まったことではないでしょう。会社員は年に1回の健康診断を受ける義務がありますが、それをさぼると企業が責任を負います*1

その他、労働時間の規定など色々あります。企業年金などもそうでしょう。これらは別に連帯責任なのではなくて、企業側に労働者の管理責任があるからそうなっているのです。極端なことを言えば、最近の温暖化関連で企業に対してCO2排出量の割り当てを行い、それを越えるとペナルティを与えるなどという話がありますが、それと同じようなものです。それをいきなり村社会だとか自己責任と言いながら連帯責任とか言われると、「あなた会社努めしたこと無いでしょ?」と訊きたくなってしまいます*2

イラク人質事件の件についても違和感があります。確かに、あれから「自己責任」という言葉が流行りだしたとは思うし、確かに「国に迷惑をかけるな」という話が出てきたのも確かです。ただ、その背景として(1)あの事件のテロリスト側の要求は当時駐留していた自衛隊の撤退だった、(2)被害者は反自衛隊活動を活発に行っていた、(3)被害者がイラクに行ったのも自衛隊イラク派遣への抗議活動だった、というものがあります。当初は自作自演じゃないかと言われたものです。そんな状況だからこそ、(その是非は置いておくとして)日本が金を出すだけではない国際協力として行っている自衛隊派遣の活動の邪魔をするな、という話が出てきただけです。ifの話になってしまいますが、例えば報道のためにイラクに入って人質になったのならば、国に迷惑をかけるなという話にはならなかったと思います*3

そもそも、自己責任論が出てきたのは、人質の家族だか、左向きな方々だか何かが自衛隊は国民(つまり人質)を守るために撤退するべきと主張したことへの反論から出てきたのかと思いましたけど*4。つまり、国から渡航するなと言われているのに行った挙げ句に捕まって、困ったから国に頼るとはどういうことだ、と言う話の上での「自己責任」だったかと思います。まあ、その後、「自己責任」という言葉が一人歩きし始めるのですけど。

Wikipediaの「責任」の項の「自己責任」についての記述にもこの一件は取り上げられ、『このケースでは被害者の家族が、被害者が危険を承知でイラク渡航したにもかかわらず、記者会見で開口一番自衛隊の撤退を訴え、自衛隊を派遣した政府を非難をしたことが非難の対象となり、これが結果的に被害者へのバッシングに繋がった。この時は「自己責任」という言葉が「リスクを認識した上で行動した以上、結果については当人が一切の責任を負うべきであり、国家が保護する必要はない」という意味で使われ、さらに「政府の政策に反対した国民に対しては、政府は国民に対する保護の義務を負わない」という含意がなされているという指摘もある』と記載されています。別にWikipediaやこの記述が絶対正しいと主張するつもりはありませんが、歌田氏の言う自己責任といいながら社会的責任を求められると言う点に対して、そうではないとする見方もあるという話ですし、自分もそれに対して賛同します*5

*1:結局、企業から個人に対してフォローが行くわけですけど。

*2:歌田氏は少なくとも今はどこかの会社に勤務しているわけではないはずですが、かって一度も会社員になったことがないのかどうかは知りません。

*3:とは言え、フリージャーナリストを称する二人の日本人が同様に人質となった後に解放されましたが、彼らは政府負担による帰国費用の請求を拒否し、撤退しなかったことによる損害賠償を請求したとか。

*4:Wikipediaにもそういう記述が見られます。

*5:この部分の事例として、他には増水するから退避するように勧告されたにもかかわらず中州に留まって流された件や、耐震偽装マンションの件などが挙げられています。いずれも連帯責任、社会責任などとはまったく関係なく、リスクを知りながら行動した挙げ句に被った損害は甘んじて享受すべき、という事例になっています。